初めまして、今回の定期演奏会でオセロ序曲のTubaパートを演奏させていただくSです。直前になりましたがオセロ序曲の曲紹介をしたいとおもいます!
この曲はインターネット等で”オセロ”etc.と検索して出てくる曲ではないです。。(ヴェルディーのオセロが山ほど出てくるでしょう)要するにマイナーな曲です。オセロ序曲はドヴォルザークが残した序曲三部作「自然と人生と愛」の一曲で、タイトル中での”自然”を指す「自然の中で」、”人生”を指す「謝肉祭」に続き”愛”を表す曲ということになってます。(今回の演奏会のテーマは『愛』なのでまさにうってつけの曲でしょう)
この”オセロ”という名前はご存知シェイクスピアの戯曲「オセロ」からインスピレーションを受けています。この短い文章中でシェイクスピアの名作のあらましなどを話してもしょうがないので、内容を知らない方はご自身でお確かめください。短いので読みやすいです。
もうそろそろ曲の内容紹介に入ろうと思ったのですが、曲のはじめから詳しく解説していくのもつまらないので、今回は少し毛色を変えて演奏会にいらしてくださる方に最大限楽しんでいただけるようこの曲の魅力を語りたいと思います!(Tさんからは前者の内容を頼まれていた気もしますが、、)
****オセロの内容が含まれてたり含まれてなかったりします。ネタバレを好まない方はオセロを読んで(観て)から続きをお読みください****
オセロはシェイクスピアの四大悲劇に挙げられることからも分かるように、決してお花畑な恋愛物語ではありません。むしろ、シェイクスピアの鋭い洞察が産んだ、いたって人間味に溢れたドロドロの話です。ですがドヴォルザークは序曲三部作の”愛”として”ロミオとジュリエット”などではなく”オセロ”という題を与えました。なぜなのでしょうか。ここからは私の個人的な考えですが、デズデモーナは自分の命を奪われてなおオセロを心から愛し、オセロはその冷静沈着な思考をして狂気に陥れさせるほどにデズデモーナを愛していました。ここにドヴォルザークは恋愛小説のようにうまくはいかないけれど、三文オペラのように儚く砕けることのない人間の本当の愛を見たのではないでしょうか。
この曲はのっと日が昇るかのように静寂に始まり、高揚と安静を繰り返しながら徐々に不穏を感じさせ、悲劇的なクライマックスをむかえます。しかし、これをただの悲劇とするのはドヴォルザークの思惑に反しているのように思えます。確かにごく短い間でしたが、オセロとデズデモーナはともに幸福なときを歩み、形は歪んでしまいましたが最後(期)まで二人は互いに愛し合っていました。悲劇は喜劇以上に人間の感情が発露します。この曲でも悲劇的なまでの愛が表現できればと思います。
今回の曲紹介は、もし当日いらっしゃる方がこれを読んだら、演奏に最大限は入り込んでいただけるように心がけて作成したつもりです。分かりにくい箇所も多かったかと思いますがご了承ください。。
それでは演奏会当日、京大オケ流”究極の愛の戯曲”をお楽しみください。
今回の担当S